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【インタビュー】流されるままに来た新島で僕が店を持つことになったワケ


2022/03/31

移住者インタビュー

埼玉県出身、斉木佑介さん(33歳)の場合

新島への移住

ニューヨークから帰国。4日後には新島にいました

僕が新島に来たのはシンプルで、「先輩に誘われたから」というのが理由です。先輩は学生時代にアルバイトしていた都内の居酒屋で店長をしていた人で、いつか一緒に店をやりたいね、という話をしていたんですね。

その後、僕は学校を卒業して4年間ニューヨークで暮らすことになったんですが、帰国する直前に先輩から連絡が来たんですよ。海の写真が2枚と、「新島で店を開くから手伝わないか?」というメッセージ。

それで、新島に来ることを決めました。

当時は新島どころか離島にも行ったことがなくて、写真を見て「海きれいそうだなあ」ってそれだけ。特に調べることもせず、帰国4日後には先輩のいる新島に初上陸したんです。なんか面白いじゃないですか、ニューヨークから帰ってすぐ島にいるって。それで2014年の9月に1カ月ほど滞在して、いったん東京に戻ってバイトでお金を貯めてから、半年後の2015年2月に島へ引っ越してきました。

初めて新島に来たときは、曇りばかりであまりいい天気じゃなかったんですが、それでも十分に海がきれいだな、というのが第一印象ですね。あと他の島って船を降りたらいきなり山や坂だったりしますけど、新島は景色が開けていて広々しているな、という気はしてましたね。

ただ、今でも不思議なんですけど、島に移住するんだ!みたいな特別な感覚とか、覚悟とかは全くなくて。いつまでに帰るという終わりも考えてなくて。先輩がいるから行く、ただそれだけで流されるままに来ちゃいました。それぐらい信頼している先輩だったから、何の心配もないだろうって思ってましたね。

ところが、当の先輩は家も見つからないまま新島に行って、キャンプしてしのごうぐらいの感じだったらしくて。引っ越しまでに見つかったからよかったけど、僕が来たときに家なかったらどうするつもりだったんだって思いますよ(笑)。その後、先輩一家が村営住宅に引っ越すまで一緒に暮らしていたんですけど、先輩は思っていたよりちゃんと考えてなかったんだな、というのは後になってわかりました。

「せんまちって何?」から始まった島ぐらし

島での最初の仕事は、当時建設中だった新島高校の現場で食事の世話をする飯場のバイトでした。先輩は港の船客待合所(以下、せんまち)で食堂を営んでいたので、朝と晩は飯場のバイト、昼間はせんまちで働くという毎日。

その頃はまだ島の人と接点がほとんどなかったし、いろいろ教えてもらっても全然覚えられなかったんですよ。たぶん自分の環境がガラッと変わってアップアップになっていたんじゃないかと思うんですけど。なにしろ「せんまち」が何なのか、「うめでん」が何の略かもわからないわけですよ。役場員って何をする人ですか?という感じ。

他の人が社会経験を積む期間を僕はそっくり海外で過ごしてしまったので、本当に世間知らずだなあと思いながら日々を過ごしていました。わからないことをいちいち聞いてもキリがないから、そのうちわかればいいやと思って「このタイミングで紹介してくれたんだから、重要な人なんだな」ぐらいに考えていましたね。

その点、先輩は接客の天才で、人の顔と名前をすぐに覚えるんですよ。2015年7月に本村中央通り沿いに先輩が「サンシャイン」という居酒屋をオープンして、僕もスタッフとして働き始めたんですが、この人は観光客で、この人は島の人で、この人はあの人の知り合い、と先輩に教わりながら少しずつ覚えていきました。

サンシャイン店内。新島で移住者が飲食店をオープンするのはレアケース。大きな話題に

「島にいたら入るもんだから」と言われて、消防団にも入ったんですが、それがすごくよかった。若手が少ないこともあって、一気に島でのつながりが広がりました。島の同級生会に混ぜてもらって、同世代の友だちができたことも大きかったですね。

その後、島の仲間と一緒に空き家をリノベして自宅に
新島のアイドル、馬のホマちゃんの飼育バイトも

島で飲食店をやるということ

まさか自分が店長になるなんて

飲食業をやりたいという気持ちは昔からあったんですけど、スマートに接客したいとか、調理人になりたいというのとは違っていて。居酒屋のガチャガチャっとした現場をさばくのが得意で、「これ、どっから手をつけよう?」となったときにテンションが上がるタイプ。サポート役が天職だと思っていました。

先輩が次に新島に行くなら僕も行くのは自然な流れだし、「島で店を開く」というストーリーが面白いじゃないですか。今考えても、のほほんとしていたなあと思います。

だから3年後に、まさか先輩が島を出て行ってしまうとは思ってもみませんでした。家庭の事情で内地に帰ることになったんですが、え、先輩、新島からいなくなるの?本当に?って。

でも、これも不思議なんですけど、これってもしかしてチャンス?と考えていたフシもあって。というのも先輩がいなくなる少し前に、せんまちで店長をやらせてもらったり、キッチンカーを買って移動販売をしたりしていたんです。初めて自分で店を回してみたことで「ずっと金魚のフンは違うかも?」みたいな気持ちが芽生えていた気がします。

地元産の明日葉ペーストを使った「明日葉フラペチーニイ」もこの頃に開発。今では新島村の認定ブランド品に。

あのとき僕が店長を経験していなくて、先輩から「一緒に行かないか?」と言われていたら、もしかしたら僕も島を出ていたのかもしれない。でも先輩に言われたのは「悪い、オレ先に島を出るわ。よかったらサンシャインを引き継いでくれないか?」という言葉で。

それを聞いて、先輩と離れることで新しい境地が開けるんじゃないか、という予感があって、「うーわ、マジか!どうなるオレ!」みたいにテンション上がっちゃって。

それで2018年の秋、僕はサンシャインの店長になりました。店を受け継ぐときに大変なことがいろいろあって、「裏切られたと思わないの?」という人もいたけれど、僕を新島に連れてきてくれたのは先輩だし、そのときにはサンシャインで働くことも、島でいろんな人と関わることも、すごく楽しくなっていたんです。

だから「先輩ありがとう、あなたの役目は終わった」ぐらいの気持ちでいましたね(笑)。

先輩との別れがターニングポイントに

自分のペースでやれば生活できると思った

観光地である新島は、夏の繁忙期と冬の閑散期がはっきりしています。飲食店も繁忙期は観光のお客さんがほとんどで、夕食難民という言葉ができるほど飲食店はどこもいっぱいになります。逆に閑散期は地元の人がお客さんです。

観光のお客さんと地元の人が食べたいものは違いますし、島で飲食店を通年営業するのが簡単でないことはわかっていました。実際のところ、新島の飲食店って1月~3月はめっちゃヒマなわけですよ。僕もそんなに人望あるわけじゃないし、推しがあるわけでもない。弱小店です。

当然ながら最初はお客さんが本当に少なくて、仲のいい人が来てくれて本当に感謝だったんですけど、とりあえず自分なりに1年やってみて、初めての確定申告をしたときに「こうすれば自分ひとりなら食っていける」と思えたんです。

祝・2代目店長就任

小さな地域で商売しようとすると、パワーバランスというか、あの人は太い客だから、通ってきてくれるから、みたいなことを気にするじゃないですか。僕はそういうところがよくわからずに店をやってきたけれど、それでも自分が暮らしていける程度には稼げるなら、このまま自分らしくやっていけばいいんじゃないかと思ったんですよ。

購入したキッチンカーで冬はおでん屋台に
夏は仲間と浜辺で海の家を運営。夜は仲間の店で飲み明かした

だって、せっかく自分の店を持てたのに、まわりを気にしてばかりじゃつまらないじゃないですか。夏は観光客がたくさん来るので、得意のさばきでどんどん店を回して、冬は自分を好いてくれる人が来てくれればそれでいいかなと思って。変に背伸びせずにやっていけば、店を経営することを楽しめるんじゃないかなと。

たまに島の人で知らない方が来店すると、めちゃくちゃ緊張しましたけどね。悪い噂がたったらどうしようという不安もありましたけど、それを覆す武器があるわけでもないからしょうがないか、夏にがんばって稼げばどうにかなるかと考えていました。

お客さんが1人も来ない日も結構ありましたけど、そんなときは誰か来るまで映画でも観ようかな、という感じ。今日は少なそうだから仕込みは店開けてからでいいか、とか。場合によっては休んじゃうこともあります。

それで島の人に「サンシャイン休みすぎじゃない?」と言われることもありますけど、それでお客さんが離れていってもしょうがない、それがオレの限界だからって開き直っているところはありますね。

移住したい人の相談相手になりたい

新島に住んで大変だと思うことは…そんなにないかなあ。東京の友だちにすぐ会えないっていうのはありますけど、それはそれでたまに会うのが楽しいですし。あとは、なんだろう。ホームセンターに行けないぐらいかな。

ただ海が荒れると荷物が来なかったり、予約していたお客さんが来店できなかったりすることがわりとあるので、陸続きでないということは内地の人が想像するよりずっと影響が大きいと思います。

あと島は人との距離感が近いから、気を遣う部分はありますよね。露天風呂に行く時間とか考えますよ。今行くと、おばちゃんたちいっぱいいるからなー!と思って1時間待つとか(笑)。そのあたりは気にするとキリがないので、ほどよく距離を保つのがいいんじゃないですかね。

サンシャインを継いだ頃から、移住したいという人の相談にのるようになりました。というのも、どうやら僕って島では珍しいタイプなんだなと気づいたから。島にやって来て経営者になったっていう。だから僕のポジショニングを生かすなら、移住したい人の話を聞くことかなと思ったんです。

夏バイトのみんなと。島ぐらしに興味ある人、募集中!

といっても、移住問題を解決しよう!みたいな感じでもないんですけどね。がちがちに計画立てて島に来れば住み続けられるわけでもないし、移住者が増えることが島にとっていいことなのかもよくわからない。でも、自分ができることはやりたいと思うし、話を聞くことで何か面白い方向に転がっていけばいいなあという感じです。

まあ単純に僕が島の高校生とつながりがなくて、夏のバイトを探すのが難しかったので、移住相談をきっかけに面白いマインドの人が釣れないかな、というほうがメインですけどね。

新島への移住を考えている人へ

このページを見ている人って、移住に興味がある人なんですよね? それなら、とにかく一度新島に来てみてくださいと伝えたいです。新島って何かの目標を立てて、それを達成するというような場所じゃない気がするんです。何も考えずにフワッと来たほうが、意外といいのかもしれないと思ったりもします。

というのも、田舎って基本は資源がたくさんあるところが多いじゃないですか。資源だけは豊富だけど人がいないっていうのが田舎だと思うんですけど、新島は資源があまりないから田舎ともちょっと違っていて。大島みたいに東京に近いとか名所がたくさんあるわけでもないし、神津島みたいに漁業が強いわけでもないし。

ただ、食べ物とかモノがたくさんある場所って強いと思うんですよ。新島はそこが弱いから、じゃあ何が生み出せるんだろう?と考えられる人はフィットするんじゃないですかね。

「飲食店をやりたい」という気持ちなら、東京と同じ感覚でやろうとすると仕入れがめっちゃ大変なんで、モノがたくさんある場所でやったほうが絶対いいと思いますしね。

僕自身はコロナ禍でサンシャインをずっと休業していますが、休んでいる間に思うことがあって、新島の海で天然塩を作ろうと思い立ちました。今は自宅に作った工房で塩づくりに取り組む毎日です。コロナ禍がもう少し収まったら、サンシャインで自分が作った塩を使った料理を出したいですね。

まあ結局深くは考えてないんスけどね

ゆうすけさんのフローライフ

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