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コラム
【移住者インタビュー】島のゆるやかな時間を楽しんでほしいなって思うんです
2023/05/22
新島
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八丈島出身、小久保ののかさん(24歳)の場合
「東京の島といえば?」と言って真っ先に思い浮かぶのは八丈島、という方も多いんじゃないだろうか。そんな八丈島で育ち、1年前に結婚して小久保モータースの一員となった“のんちゃん”こと小久保ののかさん。八丈、アメリカ、埼玉、ハワイ、東京とさまざまな場所で多彩な経験を積んできた彼女が、たどりついた新島のくらしとは?
新島に嫁入りしてきました、ののかです
私が新島に来たのは、1年ちょっと前のことです。新島で自動車整備と民間車検、レンタカーを扱う小久保自動車株式会社の息子・アッキーと結婚して、島へ嫁入りしてきました。コロナ禍だったこともあり、まだまだわからないこと、知らない人のほうが多いですが、家業を手伝いながら島のことをちょっとずつ勉強したいなと思っているところです。
同じ伊豆諸島の八丈島出身なので、島同士、同じだなと思うところと、全然違うなと思うところがあって面白いですね。一番違うなと思うのは、島の景色。八丈島はとにかく大きくてだだっ広くて、玉石垣や黄八丈など大人向けのコンテンツが多いんですよね。メディアでは「大人の女子旅」「リトリート」という取り上げ方をされることが多いです。例えていえば、Facebook向き。
それに対して新島の白さ、明るさ!八丈島は浜が黒いので、新島の砂の白さにビックリでした。いたるところにモヤイ像が並んでいて、コーガ石からできた新島ガラスがあって、なんてクリエイティブな島なんだ!と。まさにinstagram向きな島だなーと思います。
距離もそんなに遠くない島同士なのに、こんなに違うのかと衝撃でしたね。あと、八丈島の子はビキニを着ないので、ビキニで村内を歩く人がこんなに多いってことも衝撃でした(笑)。
八丈島→アメリカ→八丈島→埼玉→?
生まれたのは西東京ですが、2歳のときに母に連れられて八丈島へやってきました。もともと祖父母が八丈島のことが好きで、旅行でたびたび訪れていたそうなんです。定年退職を機に八丈島へ移住して宿を始めたところ、東京でシングルマザーだった母が引っ越した、というのがいきさつ。
要は移住者一家ということになりますが、私自身はものごころついたときから島にいるので、八丈島出身という感覚です。
八丈島では典型的な島の子だったと思います。保育園から一緒の友だちと毎日遊んで、学校帰りに桑の実を食べたり、ハイビスカスの花を摘んで蜜を吸いながら歩いたり。一緒にアリが口に入ったりしても、飲みこんじゃえば大丈夫じゃんみたいな(笑)。
海が大好きだったので、服のまま海に飛び込んでみたり。校庭に行けば誰かがいて、「じゃあ〇〇ちゃんの家に行こう!」と行ってみると兄妹もいて、兄弟の友だちもいて、結果みんなで遊んだりとか。こういう島の子の感じって、新島でも同じですよね。ゲーセンも何もないけど、毎日楽しかったなあ。
その後、母が島で英会話教師として勤務していたアメリカ人の父と出会って再婚。妹と弟が生まれ、5人家族になりました。うちの家族はとにかくみんな明るくて、団結力がすごいんですよ。特に父は家族のことが大好きで、いつも一緒にいたいって感じで。特に娘である私のことはプリンセスみたいに大切にしてくれて、小学生のころから「いつか嫁に行くなんて…(涙)」って動揺しちゃうような愛にあふれた人です。
その父がアメリカの大学院で修士課程を取ることになり、私が小学3年のときに島を離れることになりました。「いつも家族一緒」という父ですから、もちろん全員でアメリカへ。島を出ることもそうですが、帰国後も島へ戻ってこれないかもしれないということで、出発のときには島の人たちにそれはそれは盛大に送り出してもらいましたね。
まあ、結果的には2年半後にあっさり戻ったんですけど(笑)。それでも島の人はみんな当たり前みたいに迎え入れてくれて、昨日まで一緒にいたみたいにすんなり島にとけこめたのは不思議な感覚でした。ここが私のふるさとなんだな、という気持ちが芽生えたのは、そのころかもしれません。
都会のくらしは、私が欲しい生活じゃなかった
中学になるとき、父の転勤で今度は埼玉に引っ越すことになりました。私にとっては、初めての都会生活です。入った中学は、同学年が300人もいるマンモス校。スタバもマックもそこらへんにあるし、いつでもカラオケに行けるし、島ではできないことばかりです。新しい友だちもたくさんできて、毎日が新鮮だったし楽しかったですね。
でも中3で進路を決める時期になって、両親に「どこの高校へ行く?」って聞かれたとき、私は迷わず「八丈高校の家政科に行きたい」と言ったんです。一番の理由は、「八丈島に帰りたい」という気持ちがあったから。
埼玉で暮らしてみて初めて、八丈島は人のつながりが圧倒的に違うんだと気づきました。約束しなくても友だちといつでも会える環境や、私たち家族が何度引っ越しても変わらず受け入れてくれる人のあたたかさ。離れていても島の友だちとはつながっている気がしたし、夏休みに島へ帰るたびに「おかえり」って笑顔で迎えてくれました。都会も楽しいんだけど、それは私が好きな生活じゃなくて、島が私にとっては本当に居心地のいい場所なんだってわかったんです。
両親も私の気持ちを理解してくれたんですが、ただ八丈高校は東京都立なので、進学するには都内に両親が住んでいないといけなくて。それがわかったのが中3の12月。それで苦肉の策として、八丈島にいる祖父母と養子縁組をして親権を移し、苗字も変えて、都民になった私だけがひとりで八丈島に行くことになりました。
親権を変えるっていうとすごい決心みたいに聞こえちゃうんですけど、八高の家政科へ行くほうが受験勉強がラクだったんですよね。勉強しなくていいし、落ち着く環境だし、好きなことができるし。お父さんだけは親権を変えることに葛藤があったみたいですけど、「別に私が変わるわけじゃないから」と説得して了承してもらいました。学校を卒業して苗字を戻したときは、神輿でも出すんじゃないかってくらい大騒ぎでしたけどね(笑)
島のために私ができることって?
八高進学が決まり、念願の八丈島ぐらしが始まりました。ただひとつだけ想像と違っていたのは、八高の家政科・園芸科が島の親世代からすると「勉強ができない子が行く学科」というイメージがあったこと。親が島の人じゃなかったので全然知らなくて、「一緒に家政科に入ろう」と言っていた仲良しの友だちが家族の大反対を受けて受験を断念してしまい、これは大変な学校に入ってしまったと入学して気づきました。
確かに私は理系科目が苦手だったので、私にとっては最高の3年間だったんですが、調理実習は週2回あるし、レポートもテストもたくさんあって、それなりに大変でした。なにより家政科専任の先生がいてくれて、調理はもちろん裁縫も教えてもらえるし、黄八丈などの島の文化にも関わることができて、すごくいい学科だなと思って。
でも自分が家政科に入ったとき、同級生は1人だけ。2年生はいなくて、3年生は3人だったんです。2年生になったときには一番上になっちゃって、入ってきた1年生は1人。家政科は東京都内に数校しかない貴重な学科なのに、生徒3人なんて、このままいくと家政科なくなっちゃうんじゃないかと心配になりました。
このまま何もせずに、島の伝統が消えてしまうのはイヤだな、せめて家政科に対する誤解を解けないだろうか?と考えるようになったんです。それで島の中学校に話しに行って、「家政科にはこんな偏見があって、親世代は子どもを行きたがらせないところがあるけど、こんなにすばらしい学科でこんなことができます!」とプレゼンしたり、体験入学を受け入れたりしたんです。そしたら私が3年生のとき、1年生が5人も入ってくれて。それが本当に嬉しかったですね。
場所は変わっても、島の心地よさは変わらない
高校生活でもうひとつの大きな思い出は、八丈島の子がハワイへ行って、アイランダーのアイデンティティについて考えるという体験プログラムに参加できたこと。その縁で出会ったのが、今の夫であるアッキーでした。「八丈島じゃないけど、新島に面白い子がいるので参加を持ちかけた」という話を聞いて、どんな子かと興味が湧いたんですよね。
以前からアッキーのお母さんと知り合いだったフラの先生が「この子だよ」と見せてくれたのが、全身ピンクタイツ姿のアッキーの写真。これはすごいキャラが来たなと(笑)。
実際に会ってみると全然違っていて「意外とシャイじゃん、カッコつけちゃって八高生と同じだな」って印象でしたけどね。ちゃんと話したのは、高3のときに人材育成プログラムで一緒にハワイへ行ったとき。他にもたくさん参加者がいたので、基本は別行動だったんですけど、面白いことにみんなで歩いていると自然とアッキーと私だけ後ろにいたんですよ。
歩く速度が遅いわけではないと思うんですけど、気がつくとみんなの後ろにいて。島の人ってなんとなく中心にいないというか、ちょっと引いて全体を見ているところがあるんですよね。そういう感覚って、島で暮らしていると自然と身につくんじゃないかと思っていて、アッキーとはアイランダー同士で通じ合えるなと感じていました。
それで自然と話す機会が増えていったんですが、アッキーは「新島が大好き。島に貢献したい」とずっと言っていたんです。私は八丈島のことは好きだけど、そこまで考えたことがなくて、すごいな、かっこいいなと思って。それにユーモアのある人が好きだったんです。一緒にいるなら、面白い人がいいじゃないですか。
高校卒業後はお互い島を出て、会える距離になったことでつきあい始めました。でも本人は自動車専門学校に通っていましたし、実家を継ぎたいとずっと言っていたので、「この人とつきあったら、自分が新島に行くことになるだろうな」とはなんとなく考えていましたね。だから新島へ行くのは自然なことで、あまり迷いはありませんでした。
八丈島は今でも大好き。私にとって八丈島は別枠なんですよ。でも新島に暮らしてみて、新島も人の距離感が近くて、居心地がいいなって思います。そういう意味では新島でも同じような感覚で生活できるし、同じように大切にしたいなと思っています。
新島ぐらしは、毎日めちゃめちゃ楽しいです。八丈島と違って新島はどこへ行くのも近いし、車の免許を取ったのでドライブも楽しくて。特にドライブしながら夕陽を見るのは、仕事帰りの大切な時間です。アッキーはアッキーで休みの日には自分の車をいじったりしているし、私は私で浜を散歩したり、それぞれに楽しんでいます。
嫁入りした小久保家は3世代の大家族ですが、うちも3兄弟だし、アメリカ行ったりなんだりいろいろしてきたので、ちょっとやそっとじゃ驚かないです(笑)。
距離感は大事。まずはゆるんでみてほしい
八丈島でも新島でも、島に暮らしていると島外から移住者が越してくることがよくあります。私は移住者だし、島の人間でもあるので、両方の気持ちがわかるなーと思うんですけど、島への移住で考えないといけないなと思うのは「都会と違って島では自分の生活圏に他人がダイレクトに入ってくる」ってことです。
誰かが入ってくると、島の人はまず一歩引いて、その人を観察するんです。それは島で生きていると自然と身についてしまう感覚で、悪いことでは全然なくて、距離感をつかもうとしているんですよ。だって島に来た人全員とグイグイ仲良くなっていくとキリがないし、後がつらいですもん。
もしかしてその人は嫌いなタイプかもしれないし、逆に自分が相手に嫌われるかもしれない。でもその人とはずっと同じ生活圏で生きていかなきゃいけない。だから島ぐらしで距離感ってすごく重要だと思います。八丈島は大きい島なので、新島の方が人間関係は濃い気はしますけど、感覚としては同じだなと感じます。
島って、一人ひとりの存在が大きいんですよ。だから何をしても多少の注目は集まります。そういうなかで「島にはこれが足りないから自分がやる!」とか「大きなことを始めるぞ!」と気合が入りすぎると、島の人はちょっと引いちゃう。
住んでいる人たちも課題はちゃんとわかっているし、解決しなきゃいけないこともわかっています。それでもみんな仕事があって、立場があって、そういうなかで自分ができることをちょっとずつ、小さい階段をがんばって上がろうとしています。そこにいきなり外からやってきて「ここがダメ!」みたいに言われると「いや、だから」ってなっちゃう。
島の人はゆるやかに生活していますし、みんな絶妙なバランスを取って暮らしているので、来る人もゆるい気持ちで力を抜いた方が楽しいんじゃないかなと思うんですよね。それと、新島には時間をかけてできている文化があって、そのうえでみんな生活しているから、まずはそこを知って尊重するところからかなと思います。
私もせっかく新島に来て小久保家に入ったからには、やっぱり島を盛り上げるところに貢献できたらいいなとは思うんですけど、まずは新島のことを学びたいです。そして島の人に信用してもらえるような人になりたいなって思います。
のんちゃんのフローライフ
*こどもくらぶのある日など、島の用事があるときは仕事を抜けてお手伝いへ。
*週末はだいたいアッキーとドライブを楽しむ
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