Column
コラム
【連載】新島出身、流れ者として生きる⑤
2025/03/05
島ぐらし
<前回までのあらすじ>
新島生まれ、東京諸島北部育ち、大学卒業後はプロ太鼓奏者をめざし西へ東へフローしてきたFlowlifeスタッフ・オザワ。演奏活動&インストラクターをしながら民謡酒場でチップをもらって生き延びるという、根無し草ライフを過ごしていました。そんなある日、父が難病を患い介護のため新島へのUターンを決断。しかし、東京でのスキルがまったく生かせない島でどうやって稼げばいいの?地を這うような日々のなか、たどりついた答えは「仕事がないなら、つくればいいじゃん!」
考えようによっては島ってチャンスがいっぱい⁉な第5回をお送りします。バックナンバーはこちら。第1回 第2回 第3回 第4回
「人生の主人公は自分だ!」
と言ってから、だいぶ経ちましたが、私の島での仕事のことをいよいよ書いてみようと思います。
まず、どこから話そうか?というところで、いつも書くのが止まってしまうくらい膨大な情報量ということは先にお知らせしておきます。
なんだかんだと、自分がやりたい事をやり散らかしてきた20代。
30代になり、それなりに夢も叶ってきて、あー今回の人生はこんな感じかー。くらいに思っていた矢先、地元へのUターンになった私ですが、島に戻ってまず感じたのは「あーここでは今までみたいには食っていけないんだな。」という暗黙の空気でした。
「職業は太鼓奏者です」って名乗っても「あーそうだったよねー」程度の反応。今まで自分が全力で取り組んできた世界は、あまりにも島の暮らしの中には当てはまらない職業でした。
で、島に仕事がないかと言われると、そんなことはなく、戻った当時は酒屋さんから声をかけてもらったり、飲食店や福祉の現場からも声をかけてももらいました。しかし、これまでの社会経験がちょっと特殊な自分にとっては、このチャンスに足を踏み入れることが、とても勇気のいることでした。
ここで就職したら「え、今更こんなことも知らないの?」と言われちゃうよなー。。というのが、どこか知らない大きな地域だったら恥ずかしくはないのですが、顔見知りの多い小さな地域では結構恥ずかしい。。。という気持ちが大きかったのです。
ここでは30代、40代なんて、若手も若手。しかも地元民ということもあり、もしかして、みんな自分に期待してくれてるんじゃないか?でも、ごめんなさい。実は私、普通の社会経験0なんです!ポンコツなんです。何もできないんですぅ!!!!!

「そこのお前!その分、普通は経験できないようなことは沢山してきてるんだから、堂々としてればいいのだよ!」
と、今の自分だったら言えますが、人生が突然白紙化してホワホワ漂っていた当時の自分は、そういう考え方ができなかったかなーと思います。
そこで一旦、自分の強みと向き合おう!と思って、自分の長所を紙に書いてみたのですが、
それが↓
・バカ高い体力(ヒットポイント)修行期間の賜物。
・孤高の精神力(マジックポイント)苦節時代の賜物。
と、主に2つしかなく、ひとまず【コスパ最強】ということはわかりました。

そんな強みを活かして、新島で元気なスーパーフリーターとして生きていく道もあったのかもしれませんが、せっかく都内での活動を全て切ってUターンするのであれば、もっとこう、ガラッと変わるような第二の人生感がもあってもいいかも。と思ったのです。
当時、私は36歳。結婚もしてない、もちろん子供もいない。適齢期もわりかし過ぎてる。。。という、世間から見たらなかなか崖っぷちの状態ではあるのですが、それも自分が選択してきた生き方です。
時々、ふと悲しくなったり不安になったりはありますが、基本的に生き方には後悔がなくて、幸せな私のライフスタイルなのです。だったら、もっともっと思い切り、この自由を楽しめば良いのではないか?
ちなみに、若かりし時は地元にいると「結婚はしないの?」「せめて彼氏はいないの?」「どうなの?」「こうなの?」と聞かれたりもしましたが、30代も半ばをすぎて帰ってくると、さすがにみんな気を遣ってくれて、何も聞かれなかった気がします笑
島の人、みんなノンデリカシーだと思っていたけど、そんなことなかった。みんなちゃんと空気を読んでくれるし、そういう人じゃないと結果的に小さな地域には住めないよなって今なら思います。まぁあとは、言われそうな人のところには自ら行かない。ということも大事です!
でも島の人って空気も読んでくれるけど、勝手な考察もしてくれるのも特徴の一つです。
例えば、島で男性と二人でドライブしている。男性と二人で食事に出かける。などを実行した場合、光の速さで噂にはなります。私も最初の頃は言われたりもしました、が、そのうち「あー、あれはアテンド仕事じゃないの?」と、【私=人脈多い=アテンド多い】みたいな話が村内で飛び交い、そして勝手に考察され、私本人が暴露しない限りは、それが真実として語られていくのです。

さて、心機一転せっかくのターニングポイント、あんまり焦らず島での生き方を模索してみるかー!と気持ちを切り替えたところ、突然のチャンスが巡ってきます。

2016年、秋。新島村商工会さんが主催のワークショップ「しごとをつくる合宿」。目にとまったチラシの言葉全てが、私のフックに引っかかってきたのでした。
「そうそう!こういうの待ってた!」と思い、すぐに応募することにしました。すごく気持ちが昂っていたので、詳細もよく読まずに応募してしまったわけなのですが、この合宿はその後の自分の進路をかなり左右するものとなったのです。
要約すると、地域の課題を解決するための事業を、意識高く集まったメンバーで考えて実行していこう!みたいな合宿だったと思います。
詳しくはこちらの新聞「OIGIE News vol.00」をどうぞ!
1枚目が合宿の概要で、2枚目が我々が考えた提案です。考えたといっても、初めて出会った人と三日三晩かけて考えた提案です。最後はもう寝不足すぎて記憶が曖昧ですが、現在のOIGIEのロゴができたのは最終日の早朝5時くらいだったと思います笑


ちなみに、この新聞を書いたのは当Flowlifeスタッフであり、新島OIGIEの制作物も手がけるライターのソーデー由美さん。話すと長くなるので割愛しますが、由美さんは「仕事をつくる合宿」に取材で来ていたのに、いつの間にか参加者として巻き込まれるという巻き込まれ体質。
「現場からは以上です!」を得意とする移住者ライターで、ベテランなのに生傷が絶えません。

今では、非常に信頼できる仲間の一人です。
とにかくこの「仕事をつくる合宿」が縁で出会ったメンバーと、合宿で取り組んだ「コーガ石建造物の流通」をテーマに誕生したのが新島OIGIEなんです。
。。。今、こうして書いていて、この記事が誰かの役に立つというのが全く見えてこなくて悲しくなってきているのですが、まぁ一例として聞いてください。
⑥へ続く。。。。